山の思想

山の思想と日本人

古来、日本列島の民は、山に育てられてきた。

明治期、近代の荒波の中で、失われつつある「山の思想」を

必死で表現しようとした素敵な人たちがいる。

はじめに

2013年、霊峰 富士山が、世界文化遺産に登録されることが決まり、日本中に元気と希望をもたらしました。
気の早い人は、「経済効果」などという言葉を使い始めて、浮かれている様子です。
しかし、ここで評価された「文化遺産」とは何か?
それは、日本人の山とのかかわり方、その作法、宗教観などの素晴らしさ。それこそが世界の人に希望をもたらすものだと評価されたのです、
すなわち、日本人の「山の思想」が評価されたのです。
残念なことに、そのことを明確に意識している人は案外と少数派なのです。
実にとんちんかんなことです。
では、昔の人が当たり前に持っていた、「山の思想」その作法、とは何であるか?
ここでは、その代表的な人たちとその思想について、少しずつ勉強していきたいと思います。

前提としての認識 / 「日本人の山の作法」は、徳川政権の瓦解とともに、新政府によって大弾圧され、根絶やしに近い状態になったのです。
突然物騒なことを書きましたが、大事なことですから・・・
富士山の世界文化遺産で評価されたのは何か?直截に言えば、それは「山岳信仰」とその連綿たる継続のありようです。富士山の山岳信仰は、人類学者の中沢新一氏によると、縄文時代以前から発生しているとのことです。(詳しくは、後述します)

その後、神道、仏教、修験道など様々な形式を取り、また混ざり合い(神仏習合)ながら連綿とつながってきた「山岳信仰」。それは日本列島に住む人たちの自然観、感謝と畏怖の作法、がそのまま表現されているものでした。「日本人」は、自分たちの宇宙観の根源を、山に、そして山に息づく様々な生命の循環のありさまに求めたのでした。
江戸期には、「講」という自治組織を通じて、山岳信仰が全国各地、様々な形態で受け継がれていきます。富士山を信仰対象とした「富士講」だけではありません。白山講、御嶽講、霧島講、出羽三山講、大山講、戸隠講、榛名講、大峯講 などなど、実に様々な「講」が組織され、山とそのエネルギーを信仰の対象にしていたのです。
しかし、徳川幕府の瓦解、その後権力を奪取した「新政府」によって、山岳信仰は大弾圧を受けます。その根拠は、「神仏分離令」(明治元年、1868)に端を発します。
王政復古の名のもとに、万世一系の天皇家を神とする「国家神道」を標榜する「明治政府」は、習合しながら独自の体系を作っていた仏教と神道、寺と神社を分離することを強制し、仏像を信仰対象とすることを禁じました。これがその後、廃仏毀釈となって、全国の仏像が数え切れず破壊される運動になってしまいます。
さらに禁止されたのが、講などの民間山岳信仰や修験道 です。それらをすべて菊の紋章の入った国家神道の神社の系列に一本化する政策が、長年にわたって押し進められました。その間、名もなき道祖神、山の神、田の神などの、無数の神様が、破壊、廃棄されていきました。
宮崎駿の「ととろ」も、もしかしたら、この時廃棄された道祖神の一つであるのかもしれません。いや、たぶんそうなのです。

鎮守の森伐採令

この、国家神道への一本化は、ついに日露戦争後の明治39年、神社合祀令(いわゆる鎮守の森伐採令)を布告するに至りました。その伐採令に、単身立ち向かったのが、ここで取り上げる 南方熊楠 という人物です。「日本人」の思想性の根拠であり、オリジナリティーの源泉でもある、「山や自然への感謝と畏怖の作法」。大げさではなくそれを根絶やしにする布告や命令が、国家権力によって日常的に行われていたのです。

今では、そんなことも案外忘れ去られ、知られていない事柄ですが、これらの一連の弾圧例は、日本人の精神構造にとって、大変大きな意味を持つ「転機」であると思います。 私たちは、自分たちの「根っこ」を失いかけている、いや既に失ってしまったのかもしれません。

富士山信仰の世界遺産認定、この不思議。

以上、ご説明したことの意味をお分かりいただけたと思います。 富士山信仰こそは、日本人の「山岳信仰」や宗教観、自然観の象徴でありました。 近代化の名のもとに、それらは明治期に弾圧され、公に活動できない状態に追い込まれた。日本人の魂のなかにも、わずかな記憶が残っているのみです。 その、「山岳信仰」が、このたび世界遺産になったということ。

オリンピックと同じように、これを単なる「経済効果」などと言っている日本人は、 すべての根拠を失うでしょう。 一方、これをきっかけに、山岳信仰をきっかけに、日本人の「山の思想」の系譜を丹念にたどり、未来への希望につなげることができるならば、本当に豊かな、愛すべき日本列島がよみがえってくるような気がします。 そのような「希望」の再構築に、丸平木材も寄与していくべく、このテーマの論考を重ねていきたいと思います。

山の思想と日本人 其の二

富士山の世界文化遺産登録 めでたし!

しかし、その意味をよく考えないと、日本人は根っこを失うことになる。

山宮浅間神社の素晴らしさ。これぞ古代神道のありのままの姿だ!

今回世界文化遺産の登録された、富士山周辺の神社の中で、ひときわその位置づけが重要であると目されているのが、山宮浅間神社(やまみや せんげん じんじゃ)です。
紀元前27年に現在の形式になったとのことですので、年代的には弥生時代に作られたということになる、古代神道の神社です。ちなみにこの神社は社殿を持ちませんし、持とうとはしませんでした。
古代の富士山の噴火で流れてきた溶岩流の最突端部の小高い丘に、神籬(ひもろぎ)を作り、木々の間にドスンと存在する富士山の山塊に祈りをささげる。全くシンプルな古代の人たちの大自然への祈りの形態をそのまま表しているのが、この山宮浅間神社です。
では、なぜ、溶岩流の最突端なのでしょうか?
実は、周辺には縄文時代からの数々の遺跡がすでに発掘されていて、その遺跡の形式の系譜を忠実にこの神社が踏襲しているというのです。つまり、人々の祈りの形式が、「神道」と名のつくもっと以前から、連綿とつながっていたことが遺跡の発掘でわかってきたというのです。

大鹿窪遺跡 縄文の民の祈りの形式

富士山の西南約20kmに位置する大鹿窪遺跡は、今から1万1000年前、縄文時代中期の住居跡と考えられています。
大鹿窪遺跡は、富士山に代表される大自然に、我々の先祖がどのように接していたか?その有様を如実に教えてくれています。
この遺跡は、約11戸、50人の人間が住んでいたと思われる竪穴式住居跡地ですが、やはり、溶岩流の痕跡のすぐ近くにわざわざ居住地を定めた形式となっています。
つまり、住居跡に後から溶岩流が到達したのではなく、わざわざ、かつての溶岩流の到達地点のすぐ近くを、選んで居住したということなのです。
現代人の我々ならば、溶岩流の到達地点は、また新たな溶岩流に襲われる可能性のある「危険地帯」「イエローゾーン」と認識するでしょう。しかし、私たちの先祖は、むしろそこを選んで居住している。神の世界と人間の世界の境界領域。そのように認識したのでしょう。素晴らしいことです。
そしてそれは、自然のエネルギーをいただく、同時に感謝と畏怖を感じ続ける、という 私たちが忘れかけたスタンスをすでに持っていたというあらわれなのだということです。
もう一度、遺跡の写真を見ていただくと、住居と溶岩の中間に、「配石遺構」というものが見えます。丁寧に石を積み上げた、祈りの場です。(焦げや炭の跡がないので、カマドや炉のあとではないと判断されます)
つまり、遺跡で判断される限り、縄文時代の人々は、富士山に対して、すでに「山岳信仰」の原型のようなものを感じて生きていたということがわかってきたのです。
自然の偉大なエネルギーに畏怖を感じ、謙虚に身を処しながら、その豊かな恵みやエネルギーをいただいて生きていくという作法。
それは、なんと石器時代からそのようであっただろうと、中沢新一氏は話しています。

4000年前のその他の遺跡も、それぞれ同様の祈りと感謝の形式を持っている

それが、そのまま、山宮浅間神社の祭礼形式に受け継がれている、ということ。
今から4000年前、すなわち、縄文時代後期の遺跡にも、同様の富士信仰、自然信仰の痕跡が明らかに見つかっています。
富士山の東に位置する、千居遺跡(せんごいせき)では、富士山に向かって二列の平行線の祭礼石積に跡や、大規模なストーンサークルなども見つかっています。それらの場所は、明らかに居住跡とは一線を画していて、やはり富士山信仰にまつわるものと認識されますが、まだまだ調査の余地があるようです。
また、富士の北側に位置する同じく4000年前の牛石遺跡では、50mにも及ぶ環状の配石遺構が発掘されており、そのサークル内でしか富士山が望めないそうです。
いずれにしても、これらは、本来の古代人の住居のほんの一部が、たまたま掘り起こされたものであると考えられます。
山と自然のエネルギー そしてそれに対する畏怖の念と感謝の作法。その形式は本質的には何ら変わることなく、縄文から弥生へ、そして山宮浅間神社へ、そしてそれ以降の富士山信仰へと受け継がれていきました。

山宮浅間神社は、今でも氏子総代も存在する現役の神社なのである。

ざっと説明してきた3つの遺跡は、あくまでも遺構であって、現役のものではありません。しかし、山宮浅間神社は、今でも氏子総代も存在する、現役の神社です。
しかも、明治期の神仏分離令など、政府の布告、命令、弾圧にも耐えて、いまだに大きな社屋を作らず、一貫して神籬と霊峰富士の関係だけで祭礼を運営しているのです。
よくもまあ、これを見つけ出して、世界遺産にしてくれたもんだと、思わず膝を打ちたくなります。

連綿と続く、山岳信仰の系譜。日本人と山と自然の作法。 日本人は、今、そのスタンスを改めて再認識しなければ、 自らの根っこを失うことになる。

ざっと説明してきた3つの遺跡は、あくまでも遺構であって、現役のものではありません。しかし、山宮浅間神社は、今でも氏子総代も存在する、現役の神社です。
しかも、明治期の神仏分離令など、政府の布告、命令、弾圧にも耐えて、いまだに大きな社屋を作らず、一貫して神籬と霊峰富士の関係だけで祭礼を運営しているのです。
よくもまあ、これを見つけ出して、世界遺産にしてくれたもんだと、思わず膝を打ちたくなります。

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